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エヌ URL 2009-04-11 (土) 13:35

おつかです。

西村氏のBlog読みました。
自分の中でも「納得のいかない事」は多いです。「責任を取って辞任」とか「営業停止」とか、それが責任を果たすことになるのかすら疑問です。

そんな時自分に解決としてケリをつける術は「関らない」ということです。
「三菱の自動車は買わない。」
「雪印のバターは買わない。」
でもMegmilkは飲んでるかww

勝手な言い分ですがそうやって「戒め」を取らないと自分が許せなくなる。
のど元過ぎて忘れてしまっている自分が。

数学的命題で解決出来ないのは解っていますが
もし自分が当事者になってしまったら・・・と考えると恐ろしいです。
「自分で自分にケリをつける」
となってしまいますから。

その為にも誠実でいなければならないと思います。

有為。 URL 2009-04-11 (土) 15:11

エヌさん、コメントありがとうございます。

西村氏のこの記事というかブログの書き方はとても上手というか・・・
結局、「私」は信用できない、ということを書いていて、これは趣味判断(好きか嫌いか)の部分です。
実際には、善悪や真偽などの判断をここで下すのはフェアーではないですから、きちんと個人の趣味判断の問題に限定して書いている・・・

生きていると、いろいろなことがあって、もちろん、イイコトもワルイコトも含めてあるので、それでも、私たちは何とか生きているわけで・・・
「誠実」で生きるあるいは「一所懸命」に生きる、そうした個人的なことがとても大切なのだと思います。

本当は、責任と自由、あるいは自由を保証するための「匿名性」について書きたいな、と思いつつも、止めました(笑)
私たちは自由であるためには「匿名性」を否定できない、だけれど、その「匿名性」が人を傷つけることもある、これはもう、その人の「誠実さ」に懸けるしかないことなのかもしれません。

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責任と原因、あるいはその「認識」について


2ch掲示板の創設者、西村博之氏のブログに書かれた『匿名の人たちが信用できない』という記事が話題になっているそうです。


 『匿名の人たちが信用できない


かいつまんで(本当は西村氏の記事をきちんと読んで頂きたいのですが)説明すると――
大企業のさまざまな不祥事では、企業という組織の傘のもと犯罪を犯した者が匿名で報道され(顔が見えない――視覚的・精神的な意味で)、たとえ大企業と言えど信用など出来ず、匿名掲示板を利用する人たちの「匿名性」を卑怯とするなら、それと同じかそれ以上に、大企業の不祥事における匿名報道は「卑怯」で信用できないのではないか、と、問題を提起する記事が書かれています。


このブログ記事のレスにはさまざまな意見が書き込まれており、例えば、責任、匿名性、個人、信用などをキーワードに興味深く読むことができます。


で、それに触発されたというわけではなくて、「責任」という言葉がどうも「信用」できなく、不祥事や事件が起きた時に、マスメディアなどは「どのように責任をとるのか」とか「個人と責任の問題」あるいは「社会と責任の問題」などについては言及されますが、「責任とは何か?」という責任そのものの問題については述べられないことが多いので、私見を書き留めておく次第。


 責任と原因の関係性


社会的な事件や不祥事が起こると、多くのマスメディアにはコメンテーターやら社会学者、犯罪心理学者などの人たちが登場し、さまざまな意見やコメントをすることになります。
その、常識的な意見は、事件や不祥事の原因について客観的に語るわけですが、原因の遡及と事件や不祥事自体の責任について、線引きがはっきりとなされずに、曖昧なまま混同して語られるのを目にするのですが。
例えば、何かの事件が起きた時に、その事件を起こした犯罪者の生まれ育ちや家庭環境、知人友人との関係などが客観的に取沙汰され原因を遡及します。もちろん、この原因の分析や追求は大切なことですが、そのことと責任とを同じように語るのはナンセンスなはずで、同じような境遇や環境にいれば、人は同じような事件を起こすわけではなく、犯罪の責任と原因は本来分けて考えるのが筋なのではないでしょうか。


一般的に、原因の因果性は「A故にB」というように考えられます。しかしながら、必ずしもAという事象が生起した時にBという結果になるとは限りません。言えることは、Bという結果から原因を遡及するとAになるということだけで、これは「Aが絶対的にBに帰結するわけではない」ということです。
ひとつの結果からAという原因を発見できたとしても、「A故にB」とはならないわけですから、簡単にその「責任」を問うことは不可能となります。これは全てが正当で適切に判断されたとしても、結果として「犯罪」になる可能性を否定できないということを指しています。


さて、それでは、因果論としての原因から責任を問うことができないとして、「責任」の問題をどのように捉えればよいのでしょうか?



 責任を認識すること


因果論として、つまりは「A故にB」として責任を問うことができないならば、私たちはどのように「責任」と向き合うべきなのでしょうか?
前述しましたが、私たちは「正しい」あるいは「適切だ」と考えて行ったことが、結果として「社会的な悪」になることもあり得ます。言い換えれば、どんなに清廉潔白であっても誰しもが間違いを犯すし、犯罪に手を染める可能性があるということです。
大切なのは、どのような行為(正しいコトも悪いコト)にも責任が発生し、私たちは意識的かどうかに関わらず社会的に悪いとされることを行ってしまう可能性があることを認識することです。
良いことにも悪いことにも責任は存在する、そうした認識が重要なのではないでしょうか。


当然、認識したからといって、犯罪がなくなるわけでも社会的な状況が大きく変わるわけではないかもしれません。実際のところ、それは誰にもわからないわけです。「A故にB」とは帰結されないわけですから。
但し、きちんと認識をすることで、それ以上の混乱や間違いは食い止めることができるのでは、と思う次第。


私たちは、そうした責任と原因のなかで生きているのではないでしょうか。




Comments:2

エヌ URL 2009-04-11 (土) 13:35

おつかです。

西村氏のBlog読みました。
自分の中でも「納得のいかない事」は多いです。「責任を取って辞任」とか「営業停止」とか、それが責任を果たすことになるのかすら疑問です。

そんな時自分に解決としてケリをつける術は「関らない」ということです。
「三菱の自動車は買わない。」
「雪印のバターは買わない。」
でもMegmilkは飲んでるかww

勝手な言い分ですがそうやって「戒め」を取らないと自分が許せなくなる。
のど元過ぎて忘れてしまっている自分が。

数学的命題で解決出来ないのは解っていますが
もし自分が当事者になってしまったら・・・と考えると恐ろしいです。
「自分で自分にケリをつける」
となってしまいますから。

その為にも誠実でいなければならないと思います。

有為。 URL 2009-04-11 (土) 15:11

エヌさん、コメントありがとうございます。

西村氏のこの記事というかブログの書き方はとても上手というか・・・
結局、「私」は信用できない、ということを書いていて、これは趣味判断(好きか嫌いか)の部分です。
実際には、善悪や真偽などの判断をここで下すのはフェアーではないですから、きちんと個人の趣味判断の問題に限定して書いている・・・

生きていると、いろいろなことがあって、もちろん、イイコトもワルイコトも含めてあるので、それでも、私たちは何とか生きているわけで・・・
「誠実」で生きるあるいは「一所懸命」に生きる、そうした個人的なことがとても大切なのだと思います。

本当は、責任と自由、あるいは自由を保証するための「匿名性」について書きたいな、と思いつつも、止めました(笑)
私たちは自由であるためには「匿名性」を否定できない、だけれど、その「匿名性」が人を傷つけることもある、これはもう、その人の「誠実さ」に懸けるしかないことなのかもしれません。

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